4 水との戦い

1 揖保川町をおそった水害


揖保川は昔から、何度も大きな水害をうけてきました。水害から人々を守るために、どのような人たちがどのように力をつくしたのか、石碑などをもとに調べてみましょう。


四方山にかこまれ、清(きよ)い揖保川の水にうるおされ、しかも 肥沃(ひよく)な土地に恵まれたこの河内谷で、私たちが子どものころから聞かされてきたことは、2〜3年ごとに、きまってやって来る宿命のような水害の話であります。
古い記録(きろく) によれば、天明(てんめい=江戸時代)6年8月の大洪水(だいこうずい ) 。寛政(かんせい=江戸時代)元年5月末の揖保川の大洪水。寛政8年の大出水 (だいしゅっすい)。近くは明治 (めいじ) 15年、23年、25年と連続的 (れんぞくてき )におそった大豪雨(だいごうう) により揖保川は大氾濫(だいはんらん) して、袋尻(ふくろじり) ・市場の堤防( ていぼう )は決壊(けっかい)して、流れ出た水は河内全村(こうちぜんそん )をのみこんだという。
明治25年7月23日、この日、揖保川の堤防は決壊し、逆流(ぎゃくりゅう)は市場・袋尻・浦部(うらべ)の人家をのみこみ、金剛山(こんごうさん) ・馬場(うまば)におしよせて、河内全村は10日間以上よごれた水の海となってしまった。
昭和16年8月15日、超大型(ちょうおおがた) の夏台風が近畿地方各地(きんきちほうかくち) であれくるった。河内村では、揖保川の堤防(ていぼう )が決壊してよごれた水がおしよせ、現在のJA付近でも道路のそばにある石垣(いしがき )まで水没(すいぼつ ) した。この水は10日以上もひかず、 稲(いね )はほとんど 枯れて(かれて )しまった。

<揖保川町史より>




●大洪水の様子(浦部)●
1976年(昭和51年)に河内地区をおそった水害では、総額16億2500万円の被害がでました。




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